山梨に移住をした理由

f:id:ikumi1204:20240420184533j:image人生は悩むことが多く、

決断や一歩踏み出すに勇気が必要で

自ら前に進んでいく人がかっこよく見えます。

 

今回はなぜ20代で

山梨に移住を決意したのかについて、僕が思っていることを全て伝えたいと思っています!

 

  1. 本当に大切なもの
  2. 夢へ挑戦する時の海外の見え方
  3. 1番手にしたいもの

 

 

本当に大切なもの

 

山梨にはいくつかご縁がありました。

 

2017年5月

 

家の近くで開催されていて

たまたま観に行った

FC東京vsヴァンフォーレ甲府の試合で、

 

ヴァンフォーレの一体感のあるサッカーのファンになり

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(その時の写真がなかったので味スタの写真)

 

東京で出会った

当時の彼女(現在の奥さん)が山梨出身で

 

義理のご両親が

将来の結婚と子育てを考えた時にと

おすすめしてくれました。

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ただ、それはあくまできっかけで

 

「生きていく中で

   最も大事にしないといけないのは何か」

 

 

について考えました。

 

 

世の中は発展したことで

明日も生きられることが当たり前に

なってしまったと思います。

 

大半の人がやってるから満員電車に乗り

 

効率よく楽をすることを重視して

より収入の高い仕事、お金が得れることに

盲目的に目指し

 

努力をして掴み取るより

楽だから

人を貶して、陥れて優越感を得る

 

なんでも与えられるから

批判や罵詈雑言を平気で口にし

 

自分が世界の中心と勘違いする 

 

豊かなで平和な世界は人の心をダメにする

戦争や災害があると愛を持って寄り添いあう

 

どっちの日常であるべきかわからないですね

 

サッカーの仕事をするために

タイ🇹🇭行ったことがあります。

 

当時、

日本人が行かないような場所に行き

地元の人に話を聞くと

 

時給は100円台と言っていました。

 

それでも誰に対しても真っ直ぐな笑顔で

ストレスなく幸せそうに1日を生きていました。

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自由というのは

最も不自由なことだと思います。

 

 

日本に帰り、当たり前の日々に

目を向けながら考えました。

 

 

・何をしている時が1番心からの幸せか

・何をした時後悔がなく、納得がいくか

 

 

こうやって自分自身と向き合う人は少ないです。

 

すぐに答えは見つかりませんでしたが、

 

たくさんのチャレンジをしては

振り返ることを繰り返して

 

僕が出した答えは

 

自分の成長のため、心の底から見返りを求めない真っ直ぐな

 

努力

 

今、目の前にある当たり前が

当たり前であることが幸せと感じる

 

感謝

 

 

 

夢へ挑戦する時の海外の見え方

 

僕が海外に初めて挑戦した時は

英語が全く喋れず、

 

中学の英語のテストはいつも10〜20点でした。

 

駅で切符を買うこともままならず、

 

何を言っているのかわからないと

しょっちゅう怒鳴られました。

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街中の広告や電車のアナウンスも

英語のものしかないので

 

当時は、普段気にしない

日本語の日常が

実は安心できるものなんだなと感じていました。

 

そんな状態から必死に勉強して時には

泣きながら英語を覚えていきました。

 

辛過ぎて、

何度も諦めて日本に帰ろうとしました。

 

それでも食らいつき

成長できているか実感がなくても

 

継続することで

英語がわかるようになりました。

 

英語ができるようになると

自分の見える世界が変わり、

 

海外のどこに行くにも不安がなくなり、どこの国もホームに感じるようになりました。

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才能だったり

最初から自分のできることではなく

乗り越えて自分の力にする

 

そして自分で見てる世界を変えていく

 

僕は未だ

これ以上の幸せを見つけられていません。

 

 

人のために何かをするのは

素晴らしいことだと思います。

 

ただ

人のため、社会ためのつもりが

自分が褒めれることが目的になっている人がいます。

 

どんな想いで頑張るのかは

人それぞれですが、

 

何かを頑張った結果、

家族であろうと周りの人がどんな反応をするかは

コントロールすることはできないです。

 

自分の中で完結しないで

理想と違った反応をされると

攻撃的になってしまう人が多いです。

 

それでも

誰かに喜んでもらうことを1番に期待する人は

 

自分の幸せを人に委ねていて

自分の人生を進んで行くと言えるのでしょうか?

 

だからこそ自分の成長のために頑張り、

 

いつか

それが世の中のためになるかも

くらいがちょうどいいと思っています。

 

 

僕は海外で活動をしている時、

 

まともにご飯食べられないくらい

生活が大変な時がありました。

 

いくつかの国を転々としていたので

日本人もいなければ、

知り合いを1から作っていく生活でした。

 

気軽に頼れる人は中々出会うことはできません

 

ひどい時は

1日でビスケット2〜3枚しか食べない日もありました。

 

そんな時に

それに気づいて助けてくれる人がいました。

 

コーチの手伝いをしていてた人で

 

コーチは副業で

本業はイタリアン🍝のオーナーでした。

 

いつも一生懸命やってくれてるから

一緒にご飯を食べようと

 

本当に言葉では表せないくらい助かりました。

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それからは

困っている人を助けるだけでなく

困っている人に気付けるようになりました。

 

困ってからでは遅いし、

 

本当に困っている人は

それを隠して我慢しようとします

 

目に見えて表面に出てくる前に手を差し伸べる

 

感謝を知っている人は

口ではあまり言わないと思います。

 

行動で周りに感謝を示していくもの。

 

本当の感謝は

生きているのが辛いと感じるくらいの

苦労をすることによって

 

世の中から

教えてもらえるものなのかもしれません。

 

 

 

これから大切にしたいもの

 

読んでいただいた僕の今までの経験から

 

当たり前のことは当たり前じゃなくて

感謝できることだらけだと思います。

 

なんとなく

聞こえてくる言葉が

日本語なのは安心できます。

 

家があり、

歩くことを含め交通手段があり、

 

水道から

透明な水が出て、

 

食べ物に困ったことがない

 

誹謗中傷や

嫌なことをされることで

 

感情があることを思い出させてくれて

幸せがあることの裏返し

 

裏切られるのは

 

自分が人を信じられる

素晴らしい人だと教えてくれる

 

 

これらのことも

孤独で独りぼっちじゃないからこそ起きることだと思えば嬉しいことです。

 

ずっと世界でたった1人だったら

寂しすぎて、誹謗中傷でもいいから

 

孤独を埋めたくなりそうですからね。

 

僕が

地方移住をしようと山梨に移住してきた理由は

 

1番重要だと考える

 

人や自然を大切にして

一生懸命丁寧に日々を過ごしたかったからです。

 

海外の色んなところみてから

東京に住んでみると

 

中途半端な人が多いと感じました。

 

それは人が多すぎて

変化や変わりになる人がいっぱいいるから

だと思います。

 

家や車など

高価なものは大切にするけど

 

100円程度でいくらでも買えるものは

 

無駄にしてしまった経験は

誰にでもあると思います。

 

人も同じで、

かえがいくらでもいるなら

その人じゃなくてもよくなる

 

逆に人が少ないなら

その人の良さを活かして、協力しようと

なりやすいと思います。

 

嘘をついて

自分の利益にのまれるのではなく

 

誠実に自分の意思を貫く

 

そういう自分になれるように頑張り

そういう人たちに囲まれていたいです

 

 

自然や食べ物だって

普段何かを感じづらいですが、

 

大きなエネルギーがあって

時間をかけて、一生懸命大切にしている人がいます。

 

時には

人の想像のできない景色

だってみることができます。

 

車やスマホより

自然の方が生きてくために不可欠です。

 

便利なことや大きな成果よりも

そういったものに目を向けていきたいです。

 

 

移住をするのは不安なこともありました。

 

考えることもたくさんあって

生活していける保証もありません。

 

僕が迷ったり、

誰にもわからない未来を考える時は

 

明日死んでも後悔しないか、

自分が死んだ先でも何を残し続けたいのか

 

これを

迷った時の基準にするようにしています。

 

ほとんどの場合は怖いを選択することになります。

 

そして

想像もできない幸せに辿り着く

 

真っ暗な中で

見える光が1番綺麗に輝いています✨

 

僕も

まだまだ気づけていない

当たり前の日常がいっぱいあります

 

まずは

周りにいてくれる人を大切にしながら

 

一生懸命努力し、精一杯1日を生きて

成長していきながら

 

少しずつ笑顔が溢れる

世の中になるよう恩返しできたらと思います。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

漫画の主人公みたいな人の自己紹介

ブログを読んでいただきありがとうございます!

日々同じようなことばかりしているのと物足りなくなったり、刺激が欲しくなるものだと思います。

 

ですが、

僕の今までの人生は常に変化の連続で刺激的な毎日でした。

 

そんな漫画の主人公みたいとよく言われる僕がどんな経験をしてきたか全て伝えたいと思っています!

 

ご興味ある方は最後までお付き合いください!

 

 

【自己紹介】

本名 宇賀神郁海(うがじんいくみ)

1997年生まれの現在26歳です。

 

群馬の館林市生まれ、5歳から八王子市で過ごす。

 

15歳でプロサッカー選手として世界一を目指しイギリスのマンチェスターUへサッカー短期留学

 

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きっかけは

留学会社の100社以上に電話をして1人で話を聞きに行き、自分でプランを決め熱意で親を説得しました!

 

 

16歳ロンドンへサッカーの長期留学。

(高校は日本の通信制高校)

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高校卒業NZ🇳🇿のオークランドシティ(2014世界3位)でコーチ。

 

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帰国後はタイ🇹🇭で過ごしつつ、日本で飲食、営業、建築の仕事をしていました。

 

もっと詳しく聞きたいと言ってくれる方は直接聞いてくれると嬉しいです!

 

普通では味わえない経験をいっぱいしてきました。

 

 

うまくいったことより

・失敗したこと

・自分で決断したこと

 

を10代で経験できたのは大きかったです。

 

「どうして海外に行こうと思ったのか」とよく聞かれますが

 

そこに夢があったから

 

もうそれだけです。

 

それっぽいことを言ったり小さなできる理由、できない理由なんていくらでもありますがこれ以上に伝えられることはないです。

 

情熱や人間の本気の気持ちはどんなことだって叶えられます。

 

もっと細かいことを聞きたい方はいくらでも聞いてください!

 

楽しそうなイメージがあるでしょうが、人種差別や環境の対応に苦戦して辛いこともいっぱいでした。

 

家庭環境も恵まれたものではありませんでした。

 

14歳の時に両親が揉め始め、毎晩のように言い合いの喧嘩をして眠れない日が続き

 

母が育児を疎かにしてことがきっかけで家事を全くしない父に負担が大きくのしかかり

何度も理不尽に怒鳴られました。

 

寝ていたら首を絞められ、刃物を向けられたこともあります。

警察の方にお世話にもなりました。

 

少し経ち、母が出て行きました。

 

すると今度は子供の取り合いが始まり

父と話せば母の悪口を言われ、

母と話せば父の悪口を聞かされました。

 

挙句になぜか当時住んでいた戸建ての家の権利の話を僕を間に話をされ、

 

ただただ振り回されてました。

 

両親は子供が大事だったというより、

お互い相手を陥れて優劣感に浸りたかっただけのようです。

 

逃げれば楽だったのでしょうが、

弟が2人いるため僕が逃げたら弟のところに攻撃がいくのがわかっていたので何を言われても立ち向かっていました。

 

最終的には

父がシェアハウスを始めると嘘をつき

僕が海外で活動をしている間に母子を家に住まわせて、自分の子供たちを遠回しに追い出し

 

逃げるように引っ越していきました。

 

それからは母と共に過ごし、父とは二度と会わないです。

 

最後に父方の祖父母の家に行き、

事実を全て話してボロクソに言って父に繋がる全ての縁を切りました。

 

これは全て

14歳〜20歳海外活動と並行して起きたことでした。

 

向き合うものが多かったので人より強くなるのは早かったかもしれません。

 

しかし、

早い段階でたくさんのことを経験したからこその大きな間違いがありました。

 

20歳の時に僕が思っていたのは

・結果が全て

・自分は優秀ですごい存在

・夢がない人とは仲良くならない

 

目に見える世界が全てと思い、自分のことを過大評価していました。

厳しいことを言ってくれる大人や年相応のステップは大切なんだと思います。

 

人間として

転機が訪れたのは21歳の時でした。

 

うぬぼれていた僕は人にアドバイスをもらうことがダサいことだと考え全ての決断を自分1人で行おうとしていました。

 

けれど

自分1人でなんでもできる人はいなく、まして20歳なんて何もできないのも同然です。

 

自分で気づかないうちに精神的に追い込まれ、海外の大学への入学拒否をされ時に

 

プツンっと糸が入れたように限界がきました。

無理をしていたんだなとやっと気づくことができました。

 

さらにもっと大きな問題がありました。

 

「頼れる人がいない」

 

知り合いはいましたが、プライドが高くなっていたため相談できる人は全くいなかったです。

 

この時に今でも大切にしている大事なことに気づきました

 

1人で頑張る強さよりも周りに頼れる強さが本物

 

1人で叶えられる夢はないし、周りの人と支え合えることが人間の素晴らしいところです。

 

夢を叶えた人が全てを手に入れるわけではなく、小さな1つ、1つを大事にできた人が夢が叶うと気づきました。

 

僕は真逆に思っていました。

 

後悔はないですが、

この事にもっと早く気づけていれば今頃プロサッカー選手だったかもしれません。

 

だからこそ今は

「1人でなんでも成し遂げるより仲間と失敗したい」

と思えるくらいご縁のある方を大切にしたと思っています。

 

大きな挫折をしてから少し経ったあと

16歳でロンドンで出会った友達に会いに行きました。

 

彼は出会った当時英語が僕より喋れなくて

海外経験もかなり浅く、当時16歳の僕は優越感を持っていました。

 

ただ彼は勉強熱心で当たり前の勉強をコツコツと積み上げいました。

 

それから約5年後に会ってみると

世界中を飛び回り英語を使って仕事をして、サッカーでは日本代表選手とも仕事をするまでになっていました。

 

僕がうぬぼれている間にもう手の届かないくらいの成長をしていました。

 

ここでも大事なことに気づきました。

 

当たり前のことを当たり前にコツコツ積みは上げることが1番難しく最も揺るぎのないもの

 

友達から学びました。本人はなんとも思ってないでしょう笑

 

彼はJリーグのクラブで活躍しています。

今でも仲良くしていて、大事な友達です。

 

 

そこから約4年間は

・どうやって今まで経験を活かせるか

・自分が大事にしている価値観を社会に示せるか

 

を探しているところです。

 

まだまだ目に見える形の答えが見つかっていませんが、

 

もし何か感じるものがあった人は一緒に最高の人生を作っていってくれたら嬉しいです。

 

これからの人生がわくわくして楽しみです。

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最後まで読んでいただきありがとうございました!